荒生田神社

インターネット検索で広嗣公関連の神社を新たにみつけました。 荒生田神社(あろうだじんじゃ)は九州板櫃川に所在し、その明神社は広嗣公をお祀りされています。板櫃川は公と官軍が戦った場所ですが、破れた広嗣公を地域の人が川上(現在の八王寺橋付近)に、荒武党明神として崇敬しお祀りしたのが始まりとされています。 明治政府の合祀政策により荒生田の水神社と明神社を一つにし、到津八幡宮の末社荒生田神社…

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橘諸兄公旧跡

広嗣公の乱の時(740年)橘諸兄は右大臣であった。天平勝宝9年(757年)1月6日没、74才であったとこの碑(下の写真)にあります。ということはさかのぼって740年では57才であったのですね。 JR奈良線の玉水駅を降りて、玉津岡神社や地蔵禅院を訪れたのち南に下って竹林の中の道を行くとたどり着つく。この道中は右手に稲田、左手に竹林があり鳥の声と、風の音、竹どうしがこすれ合う音、川のせせらぎ、…

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740~806

西暦740年~806年、広嗣公が亡くなってから南都鏡神社が創建されるまで、その前後を含めこの時代に疫病や飢饉、干魃や地震などの天災でどれだけ人々を苦しめたか確認するため、その主な出来事を政変などをまじえて列挙します。740年の±5年間にいかに甚大な災難があったかよくわかります。 ・和銅3年(西暦710年) 3月、平城京遷都。 ・神亀元(724年) 2月、聖武天皇即位。 ・天平6年4月7…

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