藤原広嗣公にご長男が存在した!?

昨日、藤原広嗣公の家系図がないか再度インターネット上で探したところ、広嗣公にご長男が存在したとされる文献が見つかった。ブログ「おとくに」さんの藤原式家考(参考:藤原京家・「長岡京」について)がその根拠で以下は広嗣公とそのご長男に関しての記載部分の引用:
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2-2)広嗣(?-740)
①父: 宇合 母: 蘇我倉山田石川国威大刀自<石川麻呂
②長男 子供:行雄
③737年従五位下(又は従四位上)。
④738年太宰少弐(又は大弐)に左遷。これを不満とし、吉備真備・僧玄昉を誹謗。左大臣橘諸兄は謀叛と判断。45聖武天皇から召喚の詔勅。
⑤740年太宰府で弟「綱手」ら1万人の兵力を挙げて反乱。(広嗣の乱)大野東人らに鎮圧され、処刑された。
⑧式家はこれにより、46孝謙天皇ー48称徳天皇にかけて、南家(豊成・仲麻呂) 北家(永手)らの後手に回る時代が続いた。
⑨死後、豊後国鏡明神に祀られた。


2-3)行雄
①父:広嗣 母:不明
②子供:不明
③この流れは系図上はここで終わり。
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おどろきでした。小生にとっては新発見!

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