橘諸兄公旧跡

広嗣公の乱の時(740年)橘諸兄は右大臣であった。天平勝宝9年(757年)1月6日没、74才であったとこの碑(下の写真)にあります。ということはさかのぼって740年では57才であったのですね。
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JR奈良線の玉水駅を降りて、玉津岡神社や地蔵禅院を訪れたのち南に下って竹林の中の道を行くとたどり着つく。この道中は右手に稲田、左手に竹林があり鳥の声と、風の音、竹どうしがこすれ合う音、川のせせらぎ、と自分が歩く靴の音しかなくて、ちょっと高台からは西と南西に井手の美しい田園風景が望めます。瞑想にちょうどよい。


この墓碑があるところは竹林の丘の上にあって、ひょっとしたら古墳があったところかもしれないという雰囲気があります。道中で大きなヘビのお迎えに遭遇しました。体長およそ1.2mくらいで緑色。アオダイショウかな... ちかごろヘビを見るのは珍しいのでちょっと感激。

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玉津岡神社は橘諸兄が創建されたと伝えられています。山麓にあって、心地よい風が吹いていました。

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興味を引いたのは、左の遥拝所(ようはいしょ)。氏神さまを祀るところで、そこには丸い岩が置かれています。岩といえば山なので、山の神、すなわち先祖霊を祀るということでしょうか。
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